椎間板ヘルニア手術後から復帰、代表初選出までの流れ
2019/06/03 09:53まるで夢でも見ているかのよう。これが私の率直な感想だった。つい数ヶ月前まで歩くことさえ困難だった夫が「これから先は、あなたが功治君を養っていかなければならないかもしれない。覚悟を。」と母から告げられたあの電話から、日本代表のユニフォームを着てピッチの上に立っている背中を、誰が想像できただろう。
●2006年4月10日 椎間板ヘルニア手術
椎間板ヘルニア手術日の日記はこちら
https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/432219
術後、5日目の日記より
立っている時、歩いている時に全く痛みは無い。座ったり仰向けになると、傷口や腰周りの筋肉にはりがあるような感じだと話す。これについてドクターに話を聞いたところ、今までは右に傾きながら生活していた為、右の方の筋肉が収縮し、左の方の筋肉には負荷がかかりにくくなっていたものが、手術をして真っ直ぐにしたことにより、負荷のかかっていなかった左側の筋肉にも、本来の負荷がかかるようになった為、筋肉がそれに慣れる為のはりだそう。また、神経管の修復作業にも多少の時間を要するようだ。(解りやすく説明すると、テンピュール枕を手でぎゅうっと押すと中に入り込み、手を放すと枕と手は触れてはいないけれど、枕がもとの形に戻るのに多少の時間を要す。あれと同じ原理のよう)
※手術直前
本人はまっすぐ立っているつもり。背骨がぐにゃりと曲がっているのが分かる。
【術後5日目に本人に質問】
◯手術を受けて良かったか?
「ヘルニアは人によって箇所や痛み方が違うらしいから一概にどの治療法がいいとはいえない。ただし、1つだけ言えるとするならば、俺の場合、ヘルニアというよりも、生まれつき神経管と椎間板のスペース自体が狭かったから、いくら待とうが治療を受けようがどうにもならなかった。それ以前にあの痛みと痺れでは生きていることを頑張れない。」
◯手術を終えた今の気持ちは?
「あまりにも痛んでいた時間が長かったから、痛みがなくなって初めて、あ、これが普通の体なんだ、オレ、よくあんな痛みで12月までサッカーやっていたなって、まずそう思った。正直『天国』と『地獄』みたいな差だよ。でも言い換えると、あんな痛い中でもあれくらいはやってこられたんだから、今、この痛みの無い中でサッカーやったらと思うと、本当に楽しみでたまらないわ。」
※サポーターの方からメッセージや千羽鶴を多数いただきました。あの節は本当にありがとうございました🙇♀️
●2006年6月21日、チーム練習合流
※この日の夜はお祝いに野菜たっぷりのすき焼きを出している。通常であれば糖質や脂質の高くなるすき焼きは殆ど出さない。脂質の少ない肉の部位を使い、野菜をたっぷりを入れたしゃぶしゃぶを選択することが多い。
●2006年6月27日(火曜日)より、北海道キロロ・リゾートのキャンプに合流。この直前の練習で初の6キロ走をこなしたことが記されている。
下の写真は2006年6月27日、北海道キャンプ出発前の朝食の様子。
●7月26日 ジュビロ磐田戦にて戦列復帰(J通算100試合目)
【この試合の直後、本人にした質問です】
◯久し振りの試合で浮き足立っているようにも見えました
「浮き足立っていたわけではないが、試合にスムーズに入ることが出来なかった。」
◯ボールをとられるシーンも見られました
「そうだね。今日は抜ける気がしなかった。もう少し出来ると思っていたからショックだった。試合に出て慣らしていくしかない。」
◯通算100試合目だそうです、おめでとう
功「何かそうみたいだね。ゴールを決めて勝ちたかった」
◯先日、練習試合を見に行った時は体力的に問題があるように見えましたが、今日改めて見るとかなり戻ってきたように思いました。
「体力的には全然問題ないね。大丈夫。」
◯ユニフォームの下に見えたインナーは?
「あのインナーはアディダスので体を締め付けて動きやすくするもの。ヒデさん(中田)とかがよく着てた。」
◯解説の方に、怪我しても怪我しても、何度でも戻ってくると言っていただいていましたが
「不死鳥ですから。」
◯腰の方の痛みはもうありませんか?
「別に。」
◯復帰戦ということで、その点については良かったですか?
「全然よくない。」(負けたことと、うまくプレー出来なかったことで怒りに満ち溢れている様子)
●2006年7月30日、復帰後初得点
J1第16節最終日は30日、日産スタジアムなどで残り2試合が行われ、横浜が椎(つい)間板ヘルニアから復帰したMF山瀬功治(24)の330日ぶりの得点などで新潟に2―0と快勝。4月29日の広島戦以来、6戦ぶりの勝利を挙げた。また名古屋がシーソーゲームの末、千葉に3―2で勝った。リーグ戦は8月12日に再開される。 危機感たっぷりのチームが、ようやくピッチで力を出し切った。前半42分、MFドゥトラの右ボレーが相手DFに当たり先制点になると、後半4分にはMF山瀬がマルケスからの折り返しを左足で合わせた。2―0。オシム監督の観戦も「それは関係ない」(松田)とチームはただ勝利だけのために戦った。
●2006年8月5日、日本代表初選出。
この日はオフ。人形町にて元埼玉新聞記者でサッカーライターの河野正さんとのお寿司会食中、突然、何の前触れもなくサッカー協会から電話が。追加招集される形となり、会食どころではなくなる。日記を読み返すと次の日からの代表合流の為、横浜の自宅へとんぼ返りしていることが分かる。帰宅最中にサッカー協会からリリースがあったようで、夫婦共々電話やメールがパンクしそうな程に殺到したことが記されていた。
以下がその時のサッカー協会からのリリース
【8月9日(水)に行われる「KIRIN WORLD CHALLENGE キリンチャレンジカップ2006」(19:20キックオフ @国立競技場)で、トリニダード・トバゴ代表と対戦する日本代表において、下記の5選手が追加招集されました】
◇追加招集選手
DF
栗原 勇蔵
KURIHARA Yuzo
1983年9月18日生
183cm/72kg
MF
中村 直志
NAKAMURA Naoshi
1979年1月27日生
175cm/70kg
MF
鈴木 啓太
SUZUKI Keita
1981年7月8日生
177cm/67kg
MF
山瀬 功治
YAMASE Koji
1981年9月22日生
173cm/70kg
FW
坂田 大輔
SAKATA Daisuke
1983年1月16日生
173cm/65kg
【オフだった横浜の3選手はクラブを通じて追加招集に関するコメントを発表。いずれもA代表入りは初めて。03年世界ユース選手権で4得点を挙げて得点王に輝いたFW坂田は「とてもびっくりした。いつもと同じように自分らしいプレーをして、アピールしてこようと思う」と抱負。DF栗原は「チームでやってきたことに自信を持って、代表で生かせれば」。MF山瀬は「楽しんでサッカーをやってこようと思う」とそれぞれ決意を示した。】
先に発表されていたメンバーは以下
GK 川口 能活/ジュビロ磐田
GK 山岸 範宏/浦和レッズ
DF 三都主アレサンドロ/浦和レッズ
DF 坪井 慶介/浦和レッズ
DF 田中 隼磨/横浜F・マリノス
DF 田中 マルクス闘莉王/浦和レッズ
DF 駒野 友一/サンフレッチェ広島
MF 今野 泰幸/FC東京
MF 長谷部 誠/浦和レッズ
MF 小林 大悟/大宮アルディージャ
FW 我那覇 和樹/川崎フロンターレ
FW 佐藤 寿人/サンフレッチェ広島
FW 田中 達也/浦和レッズ
Q:5人を追加した意図を教えてください。
「トリニダード・トバゴに日本には18人以上の選手がいることを伝えるためだ。それも優れた18人だ。この5人というのは、13人最初に発表して、その後追加されても怒らない人たちだ」(オシム監督のこのコメントがとても好きです)
サッカーの日本代表は8日、「KIRIN WORLD CHALLENGE キリンチャレンジカップ 2006」のトリニダード・トバゴ戦(東京・国立競技場)を翌日に控え、千葉県内で最終調整を行った。合宿3日目のこの日も、ビブスを3色に分けてのタッチ制限を設けたパス回しや、攻撃3人に対し守備2人という状況下でのシュートなど、試合を想定した練習をこなした。以下は、練習後の山瀬功治(横浜FM)のコメント。
「体だけでなく頭も使うトレーニングなので、やっていて面白い。(昨日の練習では1人だけ違う色のビブスだったが)自分はフリーで、どちらでも攻撃できるポジション。パスを受ける前から、どっちにボールを運べば有利かを常に考えながらプレーしていた。(合宿の手ごたえは)自分でできることは精いっぱいやったつもり。(明日の試合は)短い合宿だったけれど、どういうサッカーをやるかという方向性は分かってきたところ。監督の目指すサッカーを選手間で共有して表現できればと思う。(考えるサッカーについて)攻撃でも守備でも、どういう形なら有利になるかということに尽きると思う。攻撃だったら数的優位、守備だったら相手のフォーメーションへの対応、それを90分間常に考えて表現できるようなサッカーだと思う。ボード上で理解するのは簡単だけど、ゲームは相手がいることなので、どんな状況でも対応できる柔軟性というものを習慣化できれば、試合でも自然に出てくると思う。考えること自体は、それほど新しいことではない。サッカーで必要なことを考えることだと思う。それが出てくれば、もっとよくなっていくと思う。(戸惑いは)多少はあったけど、今後は少しずつ改善されていくと思う」
●2006年8月9日、日本代表初出場
KIRIN WORLD CHALLENGE キリンチャレンジカップ2006
8月9日(水)19:20/国立/47,482人
日本代表 2-0 トリニダード・トバゴ代表
得点者:17' 三都主アレサンドロ、22' 三都主アレサンドロ
○山瀬功治選手(横浜FM)
「ここまできたらどういう形とかで驚いていられない。(オシムさんの考えができたか?) チームとして守備面ではそれほどダメということはなかった。1人1人がポジショニングやマークのいる位置を見ながら連動して守備ができた。攻撃面も多少なりともできた。改善点もまだあるし、今後詰めていければいい。攻めの指示は特になかった。(中盤の位置?) 選手発表の時にべースがあったけど、中盤がおのおのの位置を見ながら自由に動いていた感じ。非常に面白かった。ハーフタイムは少し守備面について言っていたけど・・・。今は経験を積んでいる段階。できたことはいろんな意味でプラス。経験が自然と次の段階で出てくるようになると思う。連動性も意識して誰かがスペースに入って3人目の動きを意識してといった感じに自然となっていった。(監督は今日の試合に満足していない?) ワールドカップで優勝しなければ満足しないでしょう(笑)」