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山瀬理恵子のアス飯®︎日記

2006年4月10日、椎間板ヘルニア手術日の日記より

2019/06/02 13:13


◯2度目の前十字靭帯断裂をした2004年、手術日の日記はこちらから

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/235887



過去の日記より


【2006年4月10日】


午前8時50分。夫を病室から送り出す。





手術終了予定時刻はもう30分以上も過ぎている。



待てども待てども戻ってこない。



廊下で物音がする度に一喜一憂の時間を過ごしている。



12時5分、ようやく看護婦さんが病室へ戻ってきた。



「今終わりましたよ。もうすぐ帰ってきますからね。」



穏やかな顔つきと、柔らかい口調から、手術が無事、滞りなく終了したことを察した。



全身の力が一気に抜けてしまったような感じだった。







12時15分、酸素ボンベを装着し、功治が病室へ戻って来る。



青みがかった唇と、普段はあまり見ることが出来ない人間の顔色が、手術の凄まじさを物語っているようにも見える。



愛美(親友、アルビレックス新潟、田中達也の奥さん)に、この時の功治の顔を写メールしたところ






愛「生きているように見えない。生々しいからやめて(^-^;」



とたった一言、返事がかえってきた。



そんな表現がふさわしく思えるような顔つきだ。



夫の手術後の姿を見るのはもう4度目だ。初めての手術の時は口から泡をふいており、このまま死んでしまうのではと本気で心配したが、今ではすっかり見慣れたものだ。



看護婦さんに大きな声で呼びかけられるが「うーうー」と唸るだけで意識は朦朧としており、手足もほとんど動かせない。麻酔から早く覚まさせる為に、何度も揺すられたり話しかけられるが、ほとんど応答しない。






12時20分。抗生剤と痛み止めの点滴を落とし始める。



この頃から、ほんの少し意識が回復。術後の痛みで腰は痛むものの、足の痺れがなくなったことを本人の口から確認出来た。本当に良かった。




「眠い、眠い」とボソボソとものも話し始める。



その後私は、主治医の渡辺先生から今回の手術についての説明を受けた。



以前から聞いていた通り、ヘルニア自体はさほど出っ張ってはいなかったそうだが、椎間板と神経との間が2ヶ月前に診断した頃よりかなり狭まっており、相当神経を圧迫していたとのこと。



「よくあれで生活出来ていたね?もうこれが限界だったでしょう。」



と、渡辺先生も驚き混じりにお話しされていたほどだ。



手術の流れを簡単に説明すると、出ていた椎間板とその周りの傷んだ部分を削り取り、狭まった神経のところにスペースを与えた、といった感じの手術。



手術に要した時間は1時間40分。出血は30CC以下。



渡辺先生から



「もう大丈夫。上手くいきましたよ。」



と自信に満ち溢れた言葉をいただいた時は、さすがに胸にこみあげてくるものがあった。



16時近くなると、しだいに麻酔が切れ始め、猛烈な腰の痛みを訴え出す。これも靭帯の手術後の経験により、始めから予測できていたことだ。


今さっき仰向けにしたと思えば「やっぱり横向きにしてくれ」と言われ(自分で動けない為)時間が経つにつれて、眉間にしわが深くより始め、冷や汗が吹き出している。血圧も低いままだ。


「お腹空いた」「のどが乾いた」などを連発するが、オペ中の渡辺先生からなかなかOKが出ず、何もしてあげられない。苦しい時間を過ごす。



16時には取れるでしょうと言われていた酸素ボンベが18時になってもまだとれない。



17時30頃には来るといっていた渡辺先生のオペが長引いており、本人は痛みへの不安や空腹感やらで、見ていてちょっと可愛そうになるくらいだった。

                                     

面会時間終了時刻の19時をまわっても、渡辺先生は戻って来れず、腰の痛がる夫を置いて帰らなければならない。

                                     

「帰るね」の言葉には流石に腑に落ちないような苦しい顔。「わかった」と鈍い返事をかえして来たが、目も虚ろで、二重にも三重にもなっているのが解る。



こうして看護婦さんにお任せし、病院をあとに。



帰宅して電話で確認したところ、渡辺先生にも会えたし、ドリンクも飲めたらしいが、腰が激しく痛み、痛み止めの点滴と座薬をさしたと言っていた。  



今夜は明日からのリハビリ回復食の準備にとりかかる。疲れている場合ではない。



2006年4月11日



手術翌日。一晩が経過した。麻酔からもすっかり覚め、いつもの功治に戻りつつある。



しかし案の定、昨晩は痛みで殆ど眠ることが出来なかったそうで、顔全体には浮腫みが見られる。



昨日ほどの激痛ではないが、常時ズキズキ感が止まらず、歩行器でのトイレ以外は寝たきり状態だ。







こちらがとったヘルニア。重さは1グラム近くあり、ヘルニアの手術では平均0.7グラムほどしかとれないそうなので、それから比べるとかなり多い方だ。


ヘルニア自体は小さかったことから、ヘルニア以外の骨やなんかを、スペースを作る為に多く削ったことが窺る。


主治医の渡辺先生のことは「渡辺先生は手術が本当に丁寧。」「腕が確か。」と評判がとても良い先生。手術を終え、改めて渡辺先生に感謝した。


痛みでいつもの元気はないものの、昨日の手術後の様子を話すと、憶えていない自分のことに笑ったり「疲れてないか?」と私を気遣ったりする余裕も出てきた。


手術直後、ものすごく大きなイビキをかいており、自分のイビキにびっくりして起きていたようなので、目が覚めた時に「凄いイビキをかいていた寝ていた」と教えてあげたら「違う!イビキじゃない!麻酔のせいでおかしいんだ!」と1人で怒っていたよと伝えたところ(麻酔から覚めきっていなかったので本人はその時のことが記憶にない)涙を流しながら笑っていた。


食欲も旺盛。病院へ運んだ手作り回復食をうまいうまいと言いながら、スープまで残さず全て食べ飲みつくす。


腰の痛みを抜かせばほぼ復活しつつある夫。


明日にはもう少し楽になっているといいネ。



【手術後、5日目に質問】


◯手術を受けて良かったか?


「ヘルニアは人によって箇所や痛み方が違うから一概にどの治療法がいいとはいえない。ただし、1つだけ言えるとするならば、俺の場合、ヘルニアというよりも、生まれつき神経管と椎間板のスペース自体が狭かったから、いくら待とうが治療を受けようが、もうどうにもならなかったと思う。それ以前に、あの痛みではもう頑張れない。」

                                            

◯手術を終えた今の気持ちは?


「あまりにも痛んでいた時間が長かったから、痛みがなくなって初めて、あ、これが普通の体なんだ、オレ、よくあんな痛みで12月までサッカーやっていたなって、まずそう思った。正直『天国』と『地獄』みたいな差だよ。でも言い換えると、あんな痛い中で、あれだけやってこれたんだから、今、この痛みの無い中でサッカーやったらと思うと本当楽しみでたまらないわ。」


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