山瀬理恵子のアス飯®︎日記

雪月風花

2017/12/20 16:13 朝ごはん 昼ごはん 晩ごはん お弁当 お菓子 パン 作りおき お酒・おつまみ テーブルウェア キッチングッズ イベント お買い物 子ども 旅行・お出かけ 趣味 くらし 家族 健康

愛犬のことはプライベートなことで、読んでくださる方がプラスに捉えられる話ならまだしも、繊細且つナーバスな話。本当は一切書くつもりの無かった出来事ですが、今回、同じような環境下で人や動物の「死」について様々な感情に苛まれ、胸を痛めている方が大勢いることが分かり、改めて、何かを考えるきっかけになればと、ここに書くことを決めました。



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るしあを新しい入院先の先生に一旦預け、再検査結果を待っている間、夫がライセンス講習で不在中、日毎に体力を失っていく愛犬と過ごした激動の日々を振り返っていました。 


はじめに襲ってきた感情は、やっぱり後悔の念。


精一杯やったものの、あの時こうしていれば、もっと早くにこうしていたら、この選択をしておけばー。


何度も何度も押し寄せては繰り返す波。


葛藤を振り解くようにして近くの神社でお祈りを済ませたのも束の間、即座にやって来たのは、生前、北海道で一緒に暮らしていた祖母の口癖だった「バチが当たる」という言葉。


世の中には「因果応報」という言葉もあります。もしかしたら、自身がこれまでしてきた行動が、私本人ではなく、るしあに跳ね返ってきているのかもしれないと。


咄嗟に、最近喧嘩をして、もう仲直りはしたけれど、もう1回ちゃんと謝りたかった先輩や、御礼は言ったけれど、もっとしっかり言いたかった友人らに、片っ端からメールを。


「この間は本当にごめん。るしあの命が危ない。喧嘩したことまだ怒ってる?私が悪かった。因果応報がるしあに来たかと思って。」


「先日はしっかり御礼が言えなくてごめんなさい。実は愛犬が苦しんでいます。御礼が足りなかったからバチが当たったかと思って。それで連絡しています。」


こちらとしては泣きっ面に鼻水を垂らしながらの、必死に行き着いた行動でしたが、メールの相手は、るしあの心配はしてくれるものの、因果応報なんちゃらについては、ポカーン。笑


その中の1人、姉のような存在でもありビジネスパートナーの東田忍先生には「何言ってんのよ、関係ないわ!」と苦笑され。(年に2回くらいは大喧嘩しています。笑)




「こうやって皆にメールしてるのだけど、謝りたい人、御礼を言いたい人があまりに多過ぎて、キリがないことに気がついた。あちこちメールし過ぎて、携帯がパンクしそうや。笑」


と伝えると、切羽詰まった状況だったのにも関わらず、誰もがくすりと笑い、優しくくるみ込んでくれました。


そんな会話の中、実はプレーオフの日、家族で名古屋まで見に行っていたんだというこぼれ話を聴けた友人も。


この日、このタイミング、この瞬間に連絡をしていなければ、私は彼女が応援に駆けつけてくれていたことを、一生知らずに過ごしていたかもしれない訳で。


きっとこんなことが世の中には山のようにあり、だからこそ、何かが起こってしまってからではなく、いつも、そしてもっと、辺りに目を配らせ、謝る時はちゃんと謝って、周囲の方への感謝の言葉も深めていこうと思って止みませんでした。


こう思えたのは、るしあのお陰です。



今回の件で、励ましのメッセージを送って下さった方、癒しの風景写真を送ってくださった方、無理してないかい?と心配の連絡をくれた友人、神社にまでお祈りしに行ってくださった方、本当に様々でした。いつも本当にどうもありがとうございます。


るしあは闘っている最中で、一昨日、夫が福岡の自宅に戻りましたが、ただいまという言葉には反応が出来ず、抱っこをしてあげられる状況でもありません。


そんな中、シンプルに今、私が感じていることを綴ってみたいと思います。



これまでの過去を振り返ってみると、苦しいことや悩んでいること、壁にぶつかったり、辛い出来事があった時は五里霧中で、深く屈みこまざるを得ませんでした。

しかしながらそれは、力を溜め込むことでもあるので、思いっきり弾みをつけることができ、寧ろ、大きく高くジャンプ出来てきた感が否めません。今は、転んでしまった時ほど起死回生を図れる絶好のチャンスは他にないと、本気で思っています。


こんな風に思えるようになった1つの要因として、以前、大好きだった祖母の死を、10年近くも引きずったことがあります。





私の祖母は、料理のとても上手な人で、そして、いつも空を見上げている人でした。


風の匂いが変わってきたから、もうすぐ雨が降ってくるよと言ったら、本当に雨が降って来て、これから風が強くなってくると言ったら、歩くのも困難な強風になって。 


豆積みの時は、豆を乾かすために、口笛を吹いて風を呼び起こしていました。


明日は晴れだから、ちょっとハウスを開けてくると言ったら、翌日は雲1つない快晴になり、ひょっとすると祖母は、魔法使いなのかもしれないと思ったこともあります。



月の綺麗な日や、天の川がくっきり見える夜は、外に出ておいでと手をひかれ、北極星や金星のよく見える位置や方角、時間帯も教えてくれました。



七夕の夜は、必ず外に出て、どの辺りに織り姫と彦星がやってくるのか教えてくれました。


雨が降っていて天の川が見えない時も、私が「悲しい」と言ったら「大丈夫、雲の上は晴れているから、ちゃんと織り姫と彦星は逢えているよ」と言いました。


明るい時間に空に浮かぶ真っ白なお月様を発見しては、あのお月様は特別なお月様だから、よく観察しておくんだよ、と。



四季それぞれに咲く花や草、木々を使って、色々な遊びや食べられるもの、積み方なども、全て祖母が教えてくれました。



祖母は家の前に、大きな花畑も作っていました。


デザインも毎年違い、その美しさに見知らぬ人が、花畑を見学しにやってくることもありました。


私は、祖母の花畑にやってくるみつばちが怖くて「みつばちが怖いから近くに花の様子を見に行けない」と言ったら「みつばちがいないと綺麗な花は咲いてくれないんだよ。みつばちは優しいはちだよ」と、頭を撫でながら教えてくれました。


母からも、祖母からも、自然と接するように色々なことに耳を傾け、目を配らせ、流れを感じ、全てを包み込むように、人に優しく。


そして、いつの時も、心の強い人間であることを教わりました。


自然を愛でるようになったのは、祖母のお陰です。



結婚して、1年に1回程度しか北海道に帰ることが出来なくてなって、ようやく祖母の手間をかけた料理の偉大さを知ります。


実家を離れる時、車に乗り込む私の姿を見て、祖母はいつも号泣していました。


私はそれを見て「まぁたばあちゃん泣いてるし!(笑)泣き虫だね〜!」と、祖母の涙顔を笑い飛ばしていました。


すると、泣いているんだか、笑っているんだか分からない、ぐしゃぐしゃになった顔で強引に涙を拭い取り、いつまで手をふってんだと飽きれる程、豆粒くらいに見えなくなるまで、玄関前で、母と一緒に、私を見送ってくれました。



私は、人間の命が限りある儚きものだということなどとっくに忘れて、来年もまた、当然逢えるものだと勝手に決めつけ、疑いすらしませんでした。


生きていると、全てのことが当たり前に思えてくることがあります。


ですが、当たり前にあるものこそ、奇跡の連続の積み重ねで。


それなのに、いつしか恩を忘れ、失ってから大切なものに気づいたりします。


あんなに元気だった祖母が、突然天国へ旅立った時。


祖母に逢えて、話しが出来て、食事までいただけるということが、どれ程までに尊いことだったのか。


大好きな祖母が、いつまでもあの場所にいてくれるのが当たり前ではなかったことを、心底思い知らされました。


そこからは10年近く、自身を責め続けました。


何でもっと、感謝の気持ちを伝えなかったのだろう。


何でこんなちっぽけなことすら、分からなかったのだろう。


思い出しては涙が止めどなく溢れ、後悔が尽きることはありませんでした。



しかし、長い年月を経た今、ようやく分かったことがあります。


生前、祖母がどんなことを思い、どんな言葉を遣い、どんな生き方をしてきたのか、私の中にしっかりと根付いていたことを。


生まれた時から18年間、祖母が農作業をしながら家族の為に作ってくれた料理や、かけてくれた言葉の数々、魅せてくれた背中は、私の心で、ずっとずっと生き続けています。


祖母が得意だった料理を思い出し、毎朝必ず「さあ、一緒に頑張ろう。ばあちゃん、今日も宜しくね!」と心の中で唱えた後に、キッチンに立つのが私のルーティン。


何事も渦中にいると視野が狭まり、今現在の悲しみや苦しみ、悔いの部分に焦点が当たり、その感情だけにとらわれやすくなります。


けれど、今回のことで言えば、16年もの長い間、愛犬のるしあに、優しさや愛情、忠誠心や感謝の心。


一体どれだけのものを与えて貰ったのでしょう。


何を教えて貰い、どんなに幸せな時間を過ごさせて貰い、どれだけ成長させて貰えたかの方が、ずっとずっと大切なことではないのかと。


勿論、その時々の状況、思想、環境、年齢といった複雑な要素が入り混じる中での、瞬時の選択、判断。


足りなかった部分、もっとやれた部分は絶対にあったと思いますが、この先、どんなに成長を重ねたとしても、死ぬまで一生私は、未熟な生き物で、これで完璧だとか、これが最高の出来です、やりきりました、なんて日は、絶対にやってこないと思うのです。


だからこそ、るしあと暮らして来て愉しかった日々を、全力で想い、愛おしみ、感謝で心の中をいっぱいにすることに決めました。


愛犬から学んだあらゆることを、心臓の音ごと自らの細胞に埋め込んでしまえば、もし、愛犬がいなくなる日が来たとしても、寂しさは募らず、一生一緒に生きていけます。


時折流す涙なら、美しくさえ思えるほどに。





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