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山瀬理恵子のアス飯®︎日記

天命

2017/12/06 02:14 朝ごはん 昼ごはん 晩ごはん お弁当 お菓子 パン 作りおき お酒・おつまみ テーブルウェア キッチングッズ イベント お買い物 子ども 旅行・お出かけ 趣味 くらし 家族 健康


プレーオフ決戦から2夜が明け、ゆっくりと激動の日々を振り返っています。


2016年のちょうど今頃、京都サンガを契約満了となり、年が明けても移籍先が見つからず、夫の背中が、日毎に小さく細くなっていったのを昨日のことのように思い出します。


夫の言葉を借りるとするなら『アビスパさんに拾っていただき、再び火を灯していただいた生命』でした。


運命を分けたあの時、フリーアナウンサーの森田みきさんに


「子供のように声をあげて泣いていて、背中をさすってあげることも、かける言葉すらも見つからなかった」


と絞り出されながらも、テレビでは映し出されることは決してない、場内全体の異様な空気感の全てを肌で感じ、この目で確かめ、歴史の瞬間をしっかりと胸に刻むことが出来ました。



そんなこの上ない悲痛な時間の中でも、2013年の京都でのプレーオフ決勝時には見届けることが出来なかった凛とした背中に、一筋の光とかけがえのない宝物を得ることが出来ました。


人は何故、恩を忘れたり、失ってからでないと気づきを得られないのでしょう。


大きなうねりある個の感情が複雑に交錯する陰影の世界。


私は発信者でこうして綴ることが出来ますが、全ての選手、そして、スポーツに携わる全ての者が生き残りをかけて死にもの狂いです。


1人だけが苦しい訳ではない、それぞれの様々な立ち位置があり、誰もが皆平等に、苦しい。


スポットの当たらない瞬間だって星の数ほどあります。


全ての人間にドラマがあるのです。


誰かにとっての最高の喜びは、別な誰かにとっては最低の苦しみとなる。歓喜があるから残酷さが浮き彫りになり、明と暗が生き様を映し出すからスポーツはこれほどまでに私たち人間を魅了し、涙を誘うほど感情移入させ、人を育て突き動かすのだと思います。


昇格を叶えられなかったこと、側近に携わる者として、ただただ申し訳なくお詫び以外他ありません。


その上、まだまだ修行が足りず、一昨日の出来事を消化し切れず、細やかに伝える勇気もありません。


そんな中でも今、明言出来るのは、夫が引退の日を迎えるまで、これまでの20年近い現役生活をずっとそうしてきたように、妻として、最後の時まで精一杯祈り、見届けることです。


結婚した浦和レッズ時代の2003年、1番最初に夫から言われた言葉が


「勇退はしない。例えぼろ雑巾のようになったとしても、死ぬまでサッカー命、現役であり続けたい。最後の方は生活の面で苦しい想いもさせるかもしれないけど頑張って付いてきて欲しい」と。


その時、きっとこの人は納得いくまでサッカーをやり続け、需要がある限り、あらゆりカテゴリ、あらゆる場所へ行くのだろうなと、色々と覚悟を決めていました。


いつの日か、歓喜の瞬間が必ず訪れることを祈り、初めてプレーオフを経験した翌日、自身が綴った日記を掲載させていただきたいと思います。



2013年12月8日。


「国立まで応援に来てくださった皆様、TVの前で応援してくださった皆様、祈りを捧げてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。


そして、本当に本当に申し訳ありませんでした。


夫には何を言っても響かなかった夜。


だけど今朝も変わらず太陽は昇りました。私たちはここで生きていくしかない。


たくさんの責任の数々を一緒に背負います。


大変申し訳ありませんでした。


負け惜しみにしか聞こえない。何を言っても届かない。


結果が全ての世界の中で1人叫びたいと思います。


「全ての出来事には必ず意味がある」と。


昨日、しげるちゃんと斉藤学君と飲みながら語り尽くして、明け方に滞在ホテルに帰宅。酔っぱらいで意識朦朧としながら、ずっとずっと、何を言葉にしたら良いのか、何を発信するべきなのかを考えていました。


正解は分かりません。反発されるかもしれない。ですが、今日から私自身が前に進む為にどうか書かせてください。


真面目過ぎるがゆえ、力を抜くことを知らない。常に全力疾走、全身全霊。何でも正面から体当たり。


運だけで生きてきたような私から見ると、なんて不器用な生き方をする人なのだと。


サッカー一筋。サッカー命。怪我をする度に「この寿命を10年削ってもいいから、今、サッカーがしたい」と言い続けてきた人。


そんな生き方をしていたら、精神的に参ってしまうと。大先輩から、お前は真面目過ぎでかえって損してる。怪我で出来ない時や、リフレッシュの為に、息抜きだって必要なんだぞと何度も諭されていた光景を、今でも鮮明に思い出します。


二度の前十字靭帯断裂。椎間板ヘルニア、内側側副靭帯損傷、半月板損傷と、四度の全身麻酔による手術に加え、足底筋膜炎で半年近く休まざるを得ず日本代表を離脱してしまったことや、フロンターレに移籍してからは重度のグロインペインに苦しんでいました。


私は、どうしたらこの怪我をなくすことが出来るのか、どうしたら力を発揮できるようになるのかと、本屋に行っては医学書や栄養学書、自然療法や解剖学の本を買いあさって学校にも通うようになりました。成功学や心理学、脳科学、しまいに学びは月の満ち欠けの勉強にまで及び、宇宙までも巻き込み、何とかしなければと1人懸命にもがいていました。


夫と一緒に暮らしていると、愛だ恋だ、家族だの言っている場合ではなく、そこまで命がけでやっているサッカー、こちらも命がけで向き合わなければならないと。自分の人生ではなく、夫のサッカー人生の為に自分があり、今の自分は、この人のサッカーの為に何ができるのか、ということを四六時中考えるような生活になっていきました。


アテネオリンピック、最終予選で落選。日本代表では10番を背負っていた時期があったのにも関わらずワールドカップには出場出来ませんでした。同じく、10番を背負い、日本代表にも呼ばれ、スタメンをはっていたマリノスからの、あまりに突然の解雇通告。



フロンターレでははグロインペインを患ってしまっまことでパフォーマンスを落とし、たった2年でほぼ解雇と同じような形に。


まだまだJ1でやれるだろうと誰もが言ってくださったけれど、正式なオファーをしてくださったのは京都サンガF.C.だけでした。


カテゴリをJ2に落とすことになり、勿論、挫折感が無いと言ったら嘘になる。しかし、J1にあげるという素晴らしい使命と、この年齢に来て、チームからサッカー選手としては最大限の評価をしていただく移籍となりました。


加えて、素晴らしい監督にも出逢えました。


サッカーだけでなく、人としてリスペクト出来ると。この1年間、夫はその言葉を何度も口にしました。監督の口癖や胸に響いた言葉を、私にたくさん教えてくれました。


更には最高の仲間にも恵まれました。昼食は毎日、後輩と一緒にご飯に行きました。


皆、本当にいい奴ばかりだ、京都に来て本当に良かったと。そんな言葉も、何度も何度も耳にしました。



後押しするかのように、自信を失いかけていた夫を救ったのは、マンションやご近所の皆様でした。


夫は、子どもたちやお母さん方のスター的な存在でした。


夫が帰宅すると、毎日、毎日、子どもたちが、わざわざ少し離れた駐車場の車のところまで、ぞろぞろと迎えに来ます。それをお母さん方がニコニコして遠くから見守っています。


ある時、夫の変化に気づきました。


言葉が変わって行くのが分かったのです。


幸せだなぁ、可愛いなぁ、感動した、有難いね、嬉しいね。


俺、監督の為に上がりたいんだ、今のメンバーで一緒に上がりたいんだ、皆の為に、J1に上がりたいんだ。



●暮らしているマンションでの4年間の日々を振り返ります

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/189259


自分1人でここまで来られた訳ではないこと。周囲の有難さにやっと気づき、自分、自分ではなく、他の誰かの為に頑張ろうと思えるような人になっていったこと。


数々の経験を経て、やっと掴んだであろうその感覚。


今、ここでその夢を叶えることが出来たとしたら、きっと夫にとっての無数の試練と挫折は、今日、この日の為にあったと思って貰えるのではないかと。


もっともっと周囲の皆さんに、感謝できるような人になれるのではないかと。


だから、絶対に叶えて欲しかった。


皆の想いや願いに応えて欲しかった。


しばしば夫は、自分に自信がないと私に言いました。年齢を重ね、思うように身体が動かなくなったこともあるかもしれない。


しかし、貴方には経験値があるでしょう?と。そんなことを言うような人に、私が貴方の部下だったら絶対についていきたくない。昇格の夢がかかってるんだよ!と、思いっきり尻を叩いたこともありました。


けれど、サッカーの神様は無情。


目の前のチャンスと栄光はあっという間に零れ落ちていきました。


●スーパーサイヤ人からの贈り物

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/114664


試合会場では、関係者の方々が次々に固く冷たいコンクリートの上で泣き崩れていきました。けれど、私の目からは一滴の涙も零れませんでした。


それは、私が年長だ、しっかりしなければという思いと共に、責任を背負う覚悟。


一年間、一緒に闘って来たサンガの奥さん方との出逢いが、私自身にとって何ものにも代え難い一生の宝物だったから。


出逢えて、夢を共有出来たことだけでも、最高に幸せだったから。共に闘って来た戦友には感謝の言葉以外見つかりません。


試合後、おそらくバスの中から送ってきたであろう一言。


「ごめん。皆の足を引っ張った。めっちゃ責任を感じる」と。


死んだような顔をしてホテルに帰ってくるであろう夫の前で、やっぱり泣くわけにはいかない。


一言目には、


しっかりしろ!前を向け!と。

 

きっとこの先夫は、色々を背負いながら生きていくことになるのでしょう。


大丈夫。私も一緒に担います。


こんなに愉しくて、充実して、一つの目標に向かって頑張った一年、他になかった。


夢の舞台に連れてきてくれてどうもありがとう。一生忘れません。


だけどまた、必ず連れていってよ。


最後にもう一度。

 

人生に意味のないことなんて何一つとしてない。


必ずこの意味が分かる時が来る。


1年間、本当にあたたかいご声援をありがとうございました。」











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