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山瀬理恵子のアス飯® 日記

「記憶」12年目の結婚記念日

2015/08/02 00:00

今日は12年目の結婚記念日。


夫にとって、ちょっと苦しい時期を迎えたようにも思えますが、これまでも信じられないくらいたくさんのことを乗り越え、不死鳥のように復活して来た人。


奇跡みたいなものを、幾度となく見せていただきました。


この12年間、数多くの心震えるような感動をありがとう。


どうか、抱いているその想いに偽りなく、まだまだ走り続け、選手生活を全うしてください。


後悔のない人生を。



私は、あることをきっかけに、日記をつけ始めました。


それは、彼が2度目の前十字靭帯を断裂し、誰もが「あいつはもう無理だ」と声を揃えた時からです。


絶望のど真ん中にいたのは、彼ではなく、この私でした。


今考えたら、どんだけアマチャンなんだと思えますが、当時は、書き連ねることだけが、自身の感情を整理し、想いをぶつけられ、葛藤から脱出、奮起する為の唯一の手法でした。


今日は、鼓舞や願いを込めて、その1番最初に綴った日記を投稿します。



今なら胸を張って言えます。


「大丈夫」という不確かな言葉をー。




2004年9月19日。


「記憶」


薄れていく記憶の中で

無情にも体が憶えていた


以前何処かでこんな風に

心が崩れ落ちそうになる鼓動を聞いた事がある


闇を彷徨い、それでも明日を信じ

再び走り出した貴方の希望


神は彼に幾つ試練を与えれば気が済むのだろう


繰り返す記憶は

彼を取り巻く全ての者の肉体と精神を蝕もうとしていた


この先私は、何を信じて貴方を励ませばよいのだろう


誰か、誰か

教えてください



何をしていても、何を考えていても、あとからあとから、止めどなく涙が溢れてくる。

ご飯も食べられず「泣く」という行為しか出来なかったのは、何年ぶりの事であろう。

当たり前の生活、当たり前の日常が、どれだけ幸せだったかという事を、この年になって改めて痛感している。


本当に大切なものは失った時に初めて気づくものなのだろうか。

しかしながら、時間が経つとやがてその傷は癒え、人は再び恩を忘れる。

今の自分は、まるで、出口の無い迷路にでも入り込んでしまったかのように、先を見つけ出す事が出来ないでいる。

再生しても、また大きな力によって破壊される事を恐れていたのだ。


どんなに嘆いても、どんなに悔やんでも、今はもう、元気にピッチを駆け回る彼の姿を見る事が出来ない。


実家から、電話をかけてきた母がこう言った。


「生きていれば何とかなるものなのよ。あなた方は別に死んでしまった訳じゃない。与えられた状況の中で、精一杯また頑張ればいい。どんなに悩んだって、結局のところ何かが変わる訳じゃないのよ。そう考ると悩むのが馬鹿らしくなるものよ。」


大変な時期を乗り越えてきた母の、妙に説得力のある言葉だった。

それ故、心の何処かで、ほんの少しだけ諭されたような自分がいて、受話器の生温さに「母」を感じながら、思わず号泣してしまっていた。


病院に向かうタクシーを呼び寄せ、一足先に埼スタの関係者入り口で、彼が来るのを震えながら待っていたあの時、自分の目の前で繰り広げられる急激な環境の変化に、眩暈さえ覚えていた。これは夢なのかもしれないと、都合よく現実から逃れようとする自分の弱さと無力さを感じざるを得ない。



どれくらいの時間が経ったのだろうか。

重い扉の向こう側から、松葉杖で仁賀ドクターに支えられた彼がやってきた。

そして、私の顔を見るなり


「ゴメン・・」


と蚊の鳴くなような声でひとこと言った。

彼の目は、いつもに増して垂れ下がり、目尻の先の方が潤んでいるようにも見える。


「ブチっていったの・・・?」


この言葉をどんな思いで発したのかも覚えていない。ただ、靭帯が切れた時にブチっという鈍い音がするという知識だけが、経験上脳裏に焼きついていたのだろう。


「うん、いった・・・ブチっていった・・・。」


更に小さくなった功治の言葉を聴いた瞬間、意識が遠のいていくのが解った。



そこから、病院へ向かうタクシーの中で、私は、他に人が乗っているのも忘れて号泣した。

その間、功治がずっと横で謝りながら手を握っていてくれたような気がする。

MRI中、30分以上1人で外で待っていた事も、ドクターの懸命な説明への聞き取りも、全て朦朧とした意識の中で「こなした」とでも言えばよいのだろうか。


「靭帯切断したその日は痛くなくてその次の日が痛いんですよね?」


と先生に尋ね


「靭帯についてこんなに詳しい夫婦もなぁ(苦笑)」


と言われたような、そんな断片的な記憶しか残っていない。


私は、自分で勝手に「功治はもう大丈夫」なんて思っていた。

人生に「大丈夫」という言葉ほど、不確かなものは無い。

それを1度は経験しているはずの人間が、この有り様だ。


浦和に来て間もない頃は、走っている功治を見ていられるだけで幸せだったはずだ。

それが、復帰して調子が上がってくると、本人はもちろんの事、私までも「欲」が出てきてしまっていた。


「もっと出来る、もっとやれる」


それはこの世界にいる以上、必然的な事なのかもしれない。

それでもあの時の、再びピッチに立てた時の喜びを、忘れてはならなかったのだ。


神は見ていたのだろうか?


だから日々精進し、人一倍努力した彼に、酷とも思われる同じ試練を再び与えたのか?


もう1日も同じベッドから起き上がる事が出来ない、自分の心の脆さの中で、必死にこんな事をとりとめもなく考えていた。


そんな私とは裏腹に、テレビゲームに夢中になっている功治。


「落ち込まないの?」


と聞いても


「落ち込んだってしょうがないじゃん。なっちまったものはやるしかないだろ。」


と決まって同じ答えが返ってくる。


思い起こしてみれば、ちょうど2年前、彼から同じ台詞を聞いた事があった。


その時に私は


「なんて精神力の強い人なんだろう。この人だったら絶対にまた復帰できる!」


そう思っていたではないか。


2度目とは言えども、あの時と何ら変わることのない、彼のすさまじい精神力と運を、何故信じてあげられないのだろう。


決して後ろを振り向く事をしない彼の、いつもと同じ様に坦々と生活をする姿に、ようやく一筋のヒカリを見出せたような、そんな気がした。


「悩んだって、何かが変わる訳じゃないのよ」


母の言葉をもう1度自分の胸で繰り返した。


真っ赤に腫れ上がった顔から乱暴に涙を拭い去り、ようやくベッドから起き上がった。


功治が自分を心配し、買ってきてくれたお弁当は、お世辞にも美味しいと言えたものではなかったが、1日ぶりの食事に気がつくと、インスタントのお味噌汁まですっかり飲み干してしまっていた。


9月19日の出来事である。」

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